「新しき陽に染む富士の睦月かな」の批評
回答者 幸福来々
添削した俳句: 新しき陽に染む富士の睦月かな
『雪女』のコメントありがとうございます。
提案句で一番好きでしたし、これでいいなとおもいました。
自己評価では怖くないとおっしゃっていましたが、雪女の心音がしんしんであるとしっている人がこの音を確かめたとなるととても怖い俳句になってます。
次の瞬間には氷漬けになってるんだろうと。
コメントの返信だけ失礼しました。
点数: 1
回答者 幸福来々
添削した俳句: 新しき陽に染む富士の睦月かな
『雪女』のコメントありがとうございます。
提案句で一番好きでしたし、これでいいなとおもいました。
自己評価では怖くないとおっしゃっていましたが、雪女の心音がしんしんであるとしっている人がこの音を確かめたとなるととても怖い俳句になってます。
次の瞬間には氷漬けになってるんだろうと。
コメントの返信だけ失礼しました。
点数: 1
回答者 幸福来々
添削した俳句: 雪月夜子猫のようにうずくまる
コメント失礼します。
平安時代の背丈の小さい女性が雪の夜に横になって丸くなって月を愛でている。
優しくて美しいそんな景を想像しました。
句意どおりかどうかという点ですが、「寝る」は眠るという意味ではなく横になってるという解釈を前提で進めます(この時点で間違っていたらすみません)。
季重なりの点ですが、子猫を比喩に使っているため問題ないと思います。
また、子猫でなくてもいいですが、動物+『うずくまる』でないとうずくまってる人の格好が変わりますもんね。
人+『うずくまる』は丸くしゃがむ体勢ですが、動物+『うずくまる』は腹ばいの体勢となります。
比喩に使う動物は、そのうずくまっている人の描写の部分なので、作者が選択すべきことですので、このままで良いと私は思います。
一つ気になったのが、『うずくまる』で終わると本当に眠ってるかもと思いました。
「うずくまり」で終わったらまだ何かしそうな感じなので、これを提案句といたします。
雪月夜子猫のようにうずくまり
点数: 1
回答者 幸福来々
添削した俳句: 掘って掘るかまくら作る三世代
こんばんは。
うちの祖母も母と姉三人でデパートに買い物によく行ってました。
女性の三世代傍から見てもなんだか微笑ましい風景です。
本句ちょっといいのが思いついたので、ご提案したくなりコメント失礼します。
『三世代』の意味が読み取りづらいところと、『掘って掘る』のかまくらを作る大変さをもっと強調できるかもしれないと思っての提案句です。
・掘ってかまくら掘ってかまくら娘(子)と孫と
点数: 1
回答者 幸福来々
添削した俳句: 冬の月緩和ケア行く君の笑み
私の読みが甘かったなと思えた点があり、再訪失礼します。
この句の感慨を説明いただきありがとうございます。
説明をいただいて君がいれば、君と呼ぶ僕がいるのが当たり前だなと。
この『冬の月』はもちろん二人の描写だと読めてなかったと気が付きました。
そりゃ、微笑まれた方も辛いに決まってますよね。。。
また、『君』に常にある苦しみがあることは、『緩和ケア』で理解できたかもしれないなと思いました。
一応調べたのですが、調べ方が甘く「何かしらの病気がある人のケア」くらいに思ってただけで、『緩和ケア』とは「生命を脅かす重病を患っている当人とその家族」が対象となる医療行為なんですね。。。。
そのような方が、『緩和ケア』を理由に行くときの笑顔って心に来るところがあると私も理解できました。
『冬の月』との取り合わせ贔屓目なしで成功してると思います。
冬だけだと、その友はもうすぐ逝ってしまうのではないのだろうかとなりますが、『冬の月』であれば、まだ淡い希望があるのではないだろうかと思える表現だと思います。
改作になっていたら申し訳ありませんが、あまりしたくない添削というものをしてみました。
添削になってたらいいな。
もし、またその方と会うことができるのであれば、この句のお話をされてみてはどうでしょうか。
作品を通しての本音の会話は、とても刺激的でとても優しい空間が生まれますよ。
ちなみに私は同性愛者の男です。
間違ってなかったですよ。
点数: 1
回答者 幸福来々
添削した俳句: 夜行便雪ふる村へ帰りゆく
はじめまして。
『去年今年』のコメントの返信のみとさせていただきます。
まず、ご提案の語順では成り立たない簡単な理由2点を挙げます。
・意味が変わる
・多段切れになる
【意味が変わる】
本句は、「センスのない客から私は喘がされている」という状況しかありません。
ご提案の語順を倒置法と捉えて読むと「センスのない客のせいで、私は泣きくれております」という意味にかわります。
【多段切れになる】
原句)去年今年/わっちは野暮に泣かされて
切れが1つ
ご提案句)泣きくれて/野暮に/わつちは/去年今年
切れが3つ
俳句は韻文ですので、韻も楽しまなければいけません。
なのに、切れが多すぎると韻を楽しめなくなるので、切れは1つが基本となっております。
なので、倒置法(君を愛してる→愛してる、君を)は切れを多くしてしまうため、基本的に俳句に向きません。
次に、型としての理由があります。
連用中止法(最後が動詞の連用形)を用いる場合、上五に季語を置くのが定石となります。
詳しく知りたければ、参考URLを読んでみてください。
点数: 3
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