俳句添削道場(投句と批評)

長谷機械児さんの添削最新の投稿順の91ページ目

ジグソーの一片欠けし初秋かな

回答者 長谷機械児

添削した俳句: 初秋やジグソー未完のワンピース

卓鐘さん、「トマト」取り合わせ句への批評・提案句ありがとうございます。

ただ、口語の俳句、私は躊躇しています。

一つに、切れ字が異物のように感じられるということ。「や」「かな」といった切れ字は口語でも使って良い、と説く入門書を見かけましたが、それでも実際に口語文法と切れ字「や」の混在句は、作品鑑賞側としてしっくりこないものがあります。
二つに、これは季語に関することですが、「もしかして昔は季重なりは何ら戒めの対象ではなかったのではないか」と思っているのです。“正岡子規の俳句検索”に当たってみると「土地の名に思ひ出しけり友の顔」(明治21年)や「七夕に団扇をかさん残暑哉」(明治22年)などという句が見つかるくらいで、つまり、昔寛容だったものなら、わざわざ縛りを付け加えて面倒くさくしなくてもよいのではないか。季語にはもっと寛容であってよい、と個人的には思うのです。
・・・すると、単に十七音にまとめられた(切れのない、季語はどうでもよい)口語文は、俳句といっていいのか?

「戦争が廊下の奥に立つてゐた」(渡邊白泉)が俳句で、それなら「戦争は女の顔をしていない」(S・アレクシエーヴィッチ著の書名邦題)も俳句か。川柳も俳句?、標語も俳句?、「一二三四五六七八九十」も?(これに「十一十二十三十四」と続けた形が、筒井康隆のパロディ作品中で短歌として収録されています)

と、モヤモヤしてくるのです。

あと、私は「プレバト」を見ていない(番組じたいは知ってます)のですが、挙げられた俳句が「離れすぎ」でないとすると、これは何でもありに見えます。「離れすぎ」という禁忌が、選者にとっては(というより、現代俳句の大勢として)無いに等しい、ということでしょうかね。確かに、入門書で「即きすぎ・離れすぎ」には注意するように、という記述は見かけても、それがどんなものか示す例が見当たらないのでした。

さて、御句について。

・完成しないジグソーパズル、1ピース分の「空虚感・さびしさ」を、「秋の気配」に重ねたといった感じで、面白いイメージだと思いました。
・「ワンピース」に、私は衣服の方を想起しました。漫画を想起した方もいたようで。これは「一ピース」「一片」「ひとかけら」等の言い換えが検討できると思います。
・真ん中にある「未完」が強すぎるのか、カタカナ語が多すぎるのか、「ジグソー」「ワンピース」の二語が一句の中で沈んで見えました。

提案句は、カタカナ語を「ジグソー」のみにし、「未完のワンピース」を「一片欠けし」とし、季語を下五に移動しました。

・・・と、ここまで書いて、「未完のワンピース」と言う語が“連載の終らない漫画”に見えてきました。

今後とも、よろしくお願いします。

点数: 1

長昆布寝ぬる猟虎のまとふかな

回答者 長谷機械児

添削した俳句: 霧多布昆布纏って寝るラッコ

HIGUMAさん、はじめまして。

野生のラッコ、見てみたいものですが、この夏休み(私は今週いっぱいが夏休みなのです)は、コロナと天候不良でずっと巣籠りです。

さて、御句の気になる点を箇条書きに。

・「霧多布」と聞くと、私は「岬」でなく「湿原」の方を想起します。これに続くラッコの姿にはあまり関係なく、読む側にとっては要らない情報のように感じます。
季語「昆布」について、その本意は人間が食べる食材としての昆布であると思うのですが・・(手元の平凡社の「ポケット俳句歳時記」には確かに「昆布」(夏・植物)とあるのですが、例句は「昆布刈る」「昆布納屋」という使い方。もう一つ角川文庫分冊版(新年)にある総索引では「昆布刈」はあれど、「昆布」としての収録はありませんでした)。もしかして「ラッコ」が季語か?と両歳時記を繰りましたが、これは季語ではないようで。

それとも「霧多布昆布」というのが一種のブランドとしてあって、これをラッコがちゃっかり拝借している、という滑稽句・・・ではないと思いたい・・・。

提案句は、昆布を上五において、中七下五をラッコの姿にまとめたものです。季語に関しては、気になるものの「昆布」から変えると言うことはしていません。「長昆布」というのが霧多布のある釧路地方に生育する昆布の種類らしい、とは、ネット検索のたまもの。私はまったく詳しくありません。

もしも季語を変えるなら、

 海草をまとふ猟虎や夏の月

今後とも、よろしくお願いします。

点数: 2

雨降りぬ八月十五日正午

回答者 長谷機械児

添削した俳句: 正午雨模様八月十五日

イサクさん、「赤茄子」句に対する添削、ありがとうございます。

「父箸を置き」…なおじいさんの提案句もそうでしたが、なんとも立派な「父」です。こちらは一言あるときには箸を置き、姿勢を正してから話し始めるような、厳格な父親像ですね。

さて、御句について、お礼にこちらも添削を・・・。これがまた、なおじいさんの気温「三十度」に続いて難しそうな、日付の句ですか。

時刻を示す「正午」と日付「八月十五日」が離れていることに違和感を感じます。
あと、一句全体がすべて漢字ということに意図があるのかどうかが気になります(経文や昔の公文書のようにしたかったとか?)。

提案句は、日付時刻の普通の順序に変え、漢字統一をやめ、また「雨模様」を「雨降りぬ」と完了形にしました。“これから雨が降りそうな様子”では語感として弱いと思ったので、もう終った事実として言い切っています。

個人的には、字余りになりますが、

・八月十五日正午は雨なりき

全部漢字を維持するとしたら、

・八月十五日十二時雨天也

といった感じが、淡々としいて季語に合っているかとは思うのですが、添削して字余りを作るのは気が引けるので止めておきました。

今後とも、よろしくお願いします。

点数: 0

ため池や波紋の底の底に秋

回答者 長谷機械児

添削した俳句: 秋の池波紋の底の底に閑

げばげばさん、「赤茄子」句に対する批評、ありがとうございます。

私の句歴は、連続しては3ヶ月程度、通算しても1年足らずなので、初心者・入門者の域です。ただ、初めて「投句」というものをしたときから客観的に過ぎた時間の長さだけをいえば、10年超といった感じです。

昔(手元にある歳時記の発行年月から察するに2007~08年くらいのこと)、半年ほどインターネット句会や角川「俳句」の投句を試みましたが、大して選ばれないままに(角川「俳句」で、佳作が2、3句という程度)、「第二芸術論」的な陥穽に入り込んだまま遠ざかっておりました。歳時記1冊の外には、当時の作句メモも、佳作の載った角川「俳句」誌も処分したので、当時の蓄積は綺麗さっぱり何も無いのと同じですが。

最近のコロナ禍巣籠りという状況と、ネット環境の充実を得て(今は、入門的知識の再インプットだけであれば、Amazonの読み放題サービスとYouTube動画で足りるのですから!)、再びあちらこちらのネットで無料参加できるところに投句を始めてみた感じです。

「第二芸術論」的な陥穽(これって文学と言えるの? 素人が時間使って付き合う価値あるの?)からは、まだ、ちゃんと抜け出せたとは思いませんが、「俳句は遊びだと思っている。余技という意味ではない。」(川崎展宏)という言葉を知り、ここに何らかの手がかりがあるように感じているこの頃です。

さて、御句について、先にあるイサクさんの批評と同じく、「~底に秋」で終える形の方がよいと感じます。

ただ、「貯水池」という音読みの響きには人工的・工業的な感じがして、これに思い入れがないならば、「ため池」のほうが素直かなと思い、「ため池や」と変える提案句とさせていただきました。

「波紋」という水平方向への動きと、「の底の底」で垂直方向に誘導するベクトルとの交差がこの句の核になると思うので、「波紋の底の底」は動かしがたいものと見ています。でも、この「波紋」は有効に働いているか、というと・・・・。

以下は、私の改作です(発想の元はげばげばさんの句ですが、「波紋の底の底」を生かした一句にはまとめられず、元の語が殆ど残っていない代物になってしまったので・・・)。

 波立てるみづうみの底秋の默(もだ)

秋の気配が静かにゆったりと存在している感じとして、「閑」にかえて「默」にしてみました。が、これはこれで、句の末尾に「默」というのは何とも手垢のついた言い回しという感じであり、また「秋」の擬人化になっていて、まだまだ足りないとは思うのですが。とりあえず、今日考えた結果としてここに載せておきます。

今後とも、よろしくお願いします。

点数: 1

「三十度聞かなくなりて秋は来ぬ」の批評

回答者 長谷機械児

添削した俳句: 三十度聞かなくなりて秋は来ぬ

なおじいさん、「汗ばむや」「赤茄子」句に対する添削、ありがとうございます。

「甘きこと許さぬ父」…ずいぶんと謹厳実直な父になりました。現実の私の父はそこまでではないですが、こういう「父」像もまた良いものと思います。
「炎天」「熱中」…句意に沿った添削ありがとうございます。が、一句の中に熟語が多いと何か堅い、と感じるのですが…。

さて、御句について、お礼にこちらからも添削をと思ったのですが・・・。

いくつか入門書を読んだところでは、具体的な数字を生かす作句は、中級・上級に至るミッションの一つといった感じのようです。
「牡丹散りて打ち重なりぬ二三片」(蕪村)、「鶏頭の十四五本もありぬべし」(正岡子規)など、具体的な数字を一句に収める。対象とする事物の具体性は増すけれども、数字自体にはこれといって情緒がないから句全体がスカスカな感じにもなりかねない。

気温の数字というものは、情緒がない数字にやたらと字数を要するもので(温度か角度か判らない分には「摂氏」とか「気温」とか付ければ良かろうと思ったのですが、更に字数を増やすことになりました)、初心者でもハッキリ判る扱いづらさでした。

以下は、添削と言うより、葛藤の例として。

・摂氏三十度を切りて夏終る
・気温二十五度といへども初秋かな
・処暑はまだ来ざるに気温二十五度

今後とも、よろしくお願いします。

点数: 0

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