「駆け抜ける風と僕らのソーダ水」の批評
回答者 長谷機械児
添削した俳句: 駆け抜ける風と僕らのソーダ水
友也さん、こんにちは。
「夏空や」以降の御句3句、季語以外に出て来る言葉が「声」「時」「風」という“使い勝手の良い”感じの言葉で、これを形容する言葉も、どこかで聞いたような(コメントにもある「CMのキャッチコピーみたいな」)言い回しになっています。
自分の頭の中を探してみても言葉なんてそうそう見つかるものでなく、俳句の材料は自分の外に求めるのがよいとは、プレバトのN先生が言っていたのだったかなあ…。自分の外側に目を向けて(花鳥風月を愛でに吟行に出るのは難しくても、ニュースでも映画・小説・漫画・ゲーム等々でも、生活の実体験でも)これを言葉におこすのが、つまるところ「写生」なんだろうと思います。
宗教の句は信心人それぞれなのでコメントしづらいのは事実ですが、実体験句、写生句までも封印したままだと、この先似たような句ばかりになるのではないかなあ、と思います。
今後ともよろしくお願いします。
点数: 2