「人生は悲しみが先霜夜かな」の批評
回答者 げばげば
添削した俳句: 人生は悲しみが先霜夜かな
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
御句。「は、が、を、に」は散文になりやすい。たしかにそういう考えもありますね。
「を」はあまりそうは感じませんが、「が」「に」「は」の順番でたしかに気になる助詞だと自分も思っています。特に季語に「に」を使うと季語を立てるのが難しくなるなあととよく感じます。(そういう、名句もいっぱいありますのでダメじゃないです。
私は「は」は季語以外のところで結構使います。
廃橋は風の入りぐち麦の秋
書肆街は木乃伊のにほひ寒暮光
ほうたるや肺はさびしいから萎む
ふるさとは堆肥のにほひ青田風
風笛は神のたはむれ山いさみ
母はいま雨滴となりぬ残り菊
包帯は夕日のにほひ八月来
うすらひは音叉のやうに鳴り初めぬ
交番の麦茶は薄し海の駅
最近だけでも結構使ってます。好きなんでしょうね。発見を定義しやすいからかもしれませんね。
ということで、これがダメとかあれがダメとかはないとは思います~。
さて御句。「は」よりも「かな」が気になりました。「かな」の前の名詞に全体がかかっていくように詠むべき、とかいろいろ「かな」は、難しいとされていますが、
「私はこう思いますが、あなたはどうですか、そう思いませんか」という助詞だと夏井先生はよく説明されてますね。
人生はかなしみが先霜の夜
もう一つは上五中七に映像がないので、季語にもう少し映像があるといいなあと思ったりはします。
人生はかなしみが先根深汁
人生はかなしみが先冬薔薇
人生はかなしみが先蒲団干す
点数: 5