俳句添削道場(投句と批評)

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「墓洗いばしゃばしゃ今朝は仏弟子に」の批評

回答者 げばげば

添削した俳句: 墓洗いばしゃばしゃ今朝は仏弟子に

こんにちは。

厳密な違いを説明するには浅学ですが。
や、より、よは軽い切れ、軽い詠嘆とよく言われます。
少し情緒的で、使いたくないという方もいますが、私はわりと、ニュアンス的に、や、より、よだなあ、と使うことがあります。
よ、は、文語俳句でも口語俳句でも使える切れ字なので、わたしはもっと活躍すればいいなと思うたりします。

先人の多くは、〇〇さよ、と中七下五に置く形を多用していました。

生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉/夏目漱石
なんばんに酒のうまさよ秋の風/飯田蛇笏
初蝶に見し束の間のかなしさよ/松本たかし

とくに松本たかしは多用した印象があります。

シンプルに名詞➕よ、はわりと先人には少ない気がします。

鼠らもわが家の子よ小夜時雨/川端茅舎
浅間曇れば小諸は雨よ蕎麦の花/杉田久女

現代俳句ではわりと使われてるように思います。口語現かなの方も多いですしね。

すべて私の私見で答えになっていませんが、よろしくお願いします。

点数: 8

「お返事や雑談ここへ願います」の批評

回答者 げばげば

添削した俳句: お返事や雑談ここへ願います

お返事ありがとうございます!よかった、ひとつひとつ丁寧にお返事いただいてありがとうございます。

なるほどそういう考え方があるのかあ、疑問に対する答えになっているかはわかりませんでしたが、どういう意図で詠んだかを教えていただけたので飲み込めました。一点季語がないから川柳になるとは言ってはいません。無季=川柳とは思っていないという意味です。

いろんな考え方があるなあと驚いていますが、一番はAIの存在です。三段切れになってるか、季語として機能してるのか、も教えてくれるのですね。
読んだ人間の心を動かせるか、詩情が読み手の心を波立たせるかまでAIが教えてくれたらいいのですが、やはり俳句は人間の心をもって詠もう、私の詠みたい読みたい俳句はなるほど如何なるものなのだなと再認識できた佳き機会でした。

もうフィードバックに来ることはないかと思います。なぜならひとの意見を求めてらっしゃらないように感じるからです。自分の中で、こういう意図で詠んだという強い芯をお持ちなので、読んだ側がどう感じるかという意見はあまりほしくないのかなあ、と感じました。
詠み手がこういう意図なのだから、読み手のそういう読みの方が間違えてますよ、という目線で意見を受け取ると、みな意見を言わなくなっちゃいますしね。
自分ひとりで詠んでると自分の意図というものに固執してひとりよがりになりがちです。人の心を打つのは理屈じゃないと思うので、どのように読み手に届くかを大事にしたいなあとも感じ直せました。

今回はいろいろ考えられて佳き機会とお返事をありがとうございました。

点数: 8

「卒業の後に廃校泣く恩師」の批評

回答者 げばげば

添削した俳句: 卒業の後に廃校泣く恩師

こんばんは。
フィードバックしないと言いながら前言撤回する言葉に信念のないげばが通ります。
批判するなら‥‥の言葉が強くてこうなると誰もコメントに来なくなるのでは、と思いまして、私ごときで良ければと性懲りも無く考えを述べに来てしまいました。今日は喋りたい日なんでしょうね、久々にワーワー喋ってしまっています。

御句。前句より伝えたいものが伝わってきました。
前回の句でも同じですが、やはり気になるのは結果を書いてしまう傾向です。
まず、卒業の後に廃校、という映像ではない状況・コトの説明があること、
そのうえ、
廃校前の卒業だから、恩師が泣いていると、結果まで出してしまうと想像の余地が薄れてしまうこと。

廃校式次に控へて卒業す/藤田美智子
今日限り廃校となる卒業歌/佐藤信子

句材としてはわりとよくあるので、例句はたくさんあるのですが、上の二句は、そこにいる人物がどんな顔をしてるか、などを読み手に全部言わずに想像させてくれるところが佳いなあと思います。そんな想像の余白みたいな部分、省略の文学が俳句の魅力のように思います。
恩師は泣いてるのかなあ、生徒はどんな顔で歌うのだろう。

もし恩師も入れたまま、因果を少し薄れさせたいなら

卒業歌廃校に泣く恩師かな

少し薄れましたがやはりまだ中七に説明が残ります。
卒業という季語のなかに人が内包されている季語だからでしょうか。人は言わなくても卒業という季語の中に、先生や生徒という人物が見えるからでしょうか。もし人を出すなら用務員さんとか、季語の範疇の人から脱けた人が登場するときとかですかね。人でない要素を出したくなります。

卒業歌廃校となる大樹かな
卒業歌廃校となる部室かな

ここまでいくと添削でなく改になるので、あまりやりたくないのですが。因果の結果や景をすべて言わずに、別の要素で想像の余地を補給することを私ならすると思います。大樹を見て作中主体は何を思うのだろう、部室にいて誰が何を思っているのだろう、どんな表情でいるのだろう。想像させたいなあと思います。

今回は私の考えを述べるだけでなく、裏付けや改善案をということで意識はしましたが、もうげばげばは来ていらん、イサクさんの意見だけでヨロシイということであれば退散しますー。イサクさんが意見してくだされば私はまず意見がかぶるであろうので言うこと無くなりますからね。
ではお邪魔しました。

点数: 8

「痴に竿をさして恥かく馬鹿の猫」の批評

回答者 げばげば

添削した俳句: 痴に竿をさして恥かく馬鹿の猫

こんにちは。
いつも勉強させていただいています。

馬鹿の猫なんてそんな言い方しないでくださいよー。私もたっくさん季語と知らずに失敗してますし。
完全に誤解があるかもしれませんが、このサイトは道場なので、間違い添削がダメだとか、間違ったことを言ったらダメだとかそういうこともないと思っています。
そして、実績があるひとのコメントでないと誰も聞かないということもないと思います。
私もこの道場に来た翌週から、何の実績も残していないのに、ここはこうするといいのでは?こうすべきでは?といろいろ自分の意見を言ってました。俳句歴1か月未満なのに。あとで先輩が来て、教えてもらって、なるほどー、と勉強できるのがいいなあと思ってましたし、先輩が「いい句ですね」と言った句をマネして「いい句ですね」と言うのじゃなくて、先に自分の意見を言っておきたかったからです。間違ったことを一番にコメントするのも嫌で勉強いっぱいするようになりましたし、そうやってとても勉強になりました。

私も先日先輩から、散文の主観的な表現を気を付けるように、読者の読みに忖度しすぎないようにとご指摘いただいたのですが、こういう指摘って、自分では気づいてなかったので、とってもありがたいのですよね。あ、ほんまや言葉足らずなんだなあ自分って。だから、言われても何も落ち込まないし、この場所を去ろうとか居づらいとも思わないし、むしろ自分に意見や気づきをもらえることが嬉しいと思います。

間違ったことを添削するとか、知ったかぶりをしたとかそういうことが問題ではまったくないと思います、適当なことを言おうとしてるわけじゃないですし。こま爺さんの俳句への熱情とか勉強熱心さとかもすばらしいと思います。
もし、一つ何か挙げてくれということがあるとしたら、それを言う時の言い回しくらいだと思います。「私はこう思ったけど、間違ってるかもしれないけど、どうかなあ」「こういう文章が文献にあったので、私は作句するときこういうことに気をつけたりしてます。まあ、まだまだ自分もなかなかできないですけどねー」
顔も人となりもわからないだけに「本にこう載っています。そこから行くと、その句はダメです。ご参考にまでに」となると、自分なりに本気で詠んだ方にグサりと刺さるときもあるのかもしれませんね。

人生の大先輩に私ごとき若造が何を言ってるねんと思うかもしれません、お詫びを申し上げます。でも、この場所は絶対に間違ってはいけない場所、実績を残さないと意見を言えない場所になってほしくないなあと思うということは伝えておきたかったのです。こま爺さんも去ると言わずに、これからもぜひいろんな意見をぜひぜひ!と思っています。

点数: 9

「無不穏を不穏とか煽るべからず」の批評

回答者 げばげば

添削した俳句: 無不穏を不穏とか煽るべからず

こんばんは。

えーっと、ケントさんの方が悪いとか、イサクさんの方が悪くないとかは一切言ってないのです。
誰もこのサイトから離れたりしなくていいならいいなあ、と私は思うとはいいました。俳句が好きだから集まれる場所ならいいなあと思ってもいます。

ただ、ネットで顔も見えませんから、何かの掛け違いで揉め事が起きることがある。その揉め事を不穏とみな言ってるんだと思います。
原因がケントさんにあるかとかイサクさん側にあるかとか、どちらが揉め事の首謀者だとか、そういう話はみな思っていません。二人とも去ることなどなければいいなあとだけ思っています。

もし、ケントさんがげばのことをイサクさんのシンパだと思っているなら、確かにそうかもしれません。なぜなら数えきれないくらいお世話になりただただ奉仕の時間でたくさんのアドバイスや苦言をもらってきた育ての親だと思ってますから。

みな、イサクさんにお世話になってきたから的確なコメントをいただけるから去らないでほしいと思うことは当然のことでこれからも意見がほしいと思うのは当然のことです。それがシンパと言うなら、はい!シンパです!と答えると思います。

でも勘違いしないでください。どちらが悪いと思うたりしていないこと。二人とも去ってほしくないのだということ。俳句が好きなら憩える場であればいいなあとだけ思っていること。そういう場でなくなることを不穏と呼んだこと。どちらが原因かの話ではないこと。

長文書きすぎましたね。また楽しく俳句を詠んで意見を交わせないものでしょうかね。第三者なのに饒舌すぎましたね。お休みなさい。

点数: 9

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