「秋桜さやけき朝の乱れ髪」の批評
こんにちは。
いつも的確なコメントありがとうございます。
再勉強をはじめられて、俳句に対するガチの思いが感じられるので、私はこの悔しがり方を見てうれしくなります。私も精進精進って言いながらがっちり凹みます😊
真剣に真剣に返事しますね。(いつも真剣やけど)
まず掲句。「乱れ髪」の指摘は出ていますね。言葉としてどこか少し詩的な空気を醸すワードなので、危険なのかもしれません。
また乱れ髪には、寝起きの乱れ髪なのか、きぬぎぬの乱れ髪なのか、いろんなニュアンスがあると思うのですが、その想像を補強するための中七であるか。
私はこの中七の方が気になりました。
季語「さやけし」と重ねてまで、イメージっぽい朝しか提示できていないので、どういう秋桜をイメージすればよいのか悩みました。
そして、入選句。だんぜんこちらが好きです。
木偶の坊という着地に驚きがあります。コスモスと木偶の坊、水曜にいける取り合わせのように思います。
しいていうならば、中七。
今回は季語を含む十二音の型を選んだのに、中七が野を行く風。
季語の描写を補強できているか、という部分でゆるかったのではないかなあ。
今回の月火の句を見ていて、コスモスに「風」は本位として内包されてそうな気がしたし、「行く」という動詞が推敲の余地がまだあるかもしれません。
「コスモスの野や」でも同じくらいの映像が想像できているような気もします。
そうすれば、唐突に出てくる木偶の坊が登場する必然性をもう少し残りの数音で足せたかもしれません。
私ごとき2年目がいろいろ偉そうに書きましたが、卓鐘さんの、何でも言ってくれ、打ってくれ、という言葉には胸を撃たれます。とにかく俳句が好きでうまくなりたいという思いを日に日に感じるので、わたしも負けずにがんばろーと常に刺激をもらっています。ありがとうございます!