「含羞草見つけるたびに触れてゆく」の批評
回答者 なお
添削した俳句: 含羞草見つけるたびに触れてゆく
こんにちは。
イサク様、いつも勉強させていただいております。
御句、トップページの添削依頼一覧にある時は、まず、漢字が読めませんでした。調べて、がんしゅうそう、オジギソウというのだと知りました。次に、なんとなく「これって、見つけるたびに触れにけりのほうがいいんじゃないかな?」などと思いました。素人の第一印象です。
そしてコメントを開いたら、イサクさんご自身が触れにけりと迷っておられると知って驚きました。
私は、この句は、見つけるたびに触れているのが誰なのか、作者なのか別の人物か、そして触れながら歩いていく未来形か今歩いている現在進行形か、はたまた歩き終わった完了形かで趣きが異なると思いました(イサクさん始め先輩方は当然ご認識と思いますが)。
お前はどう思うんだ、と聞かれると迷いますが、触れにけりがいいかなと思ったということは、自分あるいはどなたかが、見つけたそばから触って歩いて、その後で含羞草が揺れている風情を詠んだ、と捉えたのだろうと思いました。
長々としたコメント申し訳ありません。
イサク様、7月からはあまり書き込みが出来なくなりそうだとのこと、お忙しくなるのですね。ご事情はわかりかねますが、貴殿のご評価ご添削は迅速的確、しかもとても丁寧で、私のような初心者には大変参考になります。どうか、お時間を見つけて、引き続きご指導くださいますよう、よろしくお願いいたします。
点数: 2