「白日傘大きく振りてさやうなら」の批評
もんなさん、こんにちは。
再訪です。コメント有難うございました。
「振りて」について、お尋ねですのでお答えしますね。
理由は二つ、動詞であることと促音便のことです。
俳句
は基本的に、やったコトの報告ではなく、見たモノの描写であると言われています。ですので、主体となる花とか動物等の動きはいいのですが、それを見る側(作者)の動きはあまり描かないようです(例外あり)。
御句で言えば、句の主体である白日傘の動きを描写するのはいいのです。例えば「揺れる」とか。あといいのは形容ですね。「左右に大きく」とか。
その点、御句の「振る」という動作は、主語(中心)は作者になっていますよね。いけないことだなんて言いませんよ、ですけど季語
の白日傘が作者の行為の小道具みたいになっているところに違和感があったのです。
もう一つは、いみじくも負乗さんもおっしゃっているのですが、音便のことです。
御句は「振りて」と古文表記しておられますね。「振りて」は現代語では促音便で「振って」となるのはご承知の通りです。
俳句は古文表記でなくてはみたいに思われていますが、混在しなければどちらでもいいのです。「や」とか「かな、けり」を使った場合な古文表記がいいようですけどね。
古い日本の情趣を詠むような句ならまだしも、御句のような新鮮な感覚の句であれば、逆に古文表記にあれっと思い、促音便の「振って」のほうが相応しいのではと思ったのです。
以上、お答えになりましたでしょうか。また何かありましたら、私のわかる範囲でお答えしますのでおっしゃってください。