俳句添削道場(投句と批評)

なおさんの添削投稿の古い順の1458ページ目

「あな寒し運河の船の欠航日」の批評

回答者 なお

添削した俳句: あな寒し運河の船の欠航日

あらちゃんさん、こんにちは。
御句拝読しました。結構考えてしまいました。
作者は、欠航ということを知っていて港に来たのか。
いや、違う。来てみて欠航と知った。それで余計に寒さが身に沁みた、ということではないかと思いました。
御句で私がいいなと思ったのは、上五「あな寒し」。
逆に、少し気になりましたのは、「運河の船の欠航日」。この理由はおそらく、ヒッチさんと同じではないかと思うのです(違うかもしれませんが)。
「欠航日」というと、毎週何曜日は欠航日とか決まっているような(実際はそうかもしれない)。でもおそらく、強風とかのために突然欠航が決まるのでしょう。ですから「日」を弱くしたいと思いましたのと、「運河の船の」は、私も「運河船」とかにできないかと思いました。その方が、句が締まるのではないかと思いました。春の日とかののどかなイメージであれば、「運河の船の」でもいいですが、寒い、がっかり感?とかには、「の」抜きの方が相応しいのではと思いました。
ヒッチさんのコメントの中の、「運河を渡る船」はいい感じと思いました。

提案句ということではなく、色々浮かんだ句を置かせていただけますでしょうか。

・運河船欠航と知りあな寒し
・欠航と知りあな寒き運河かな
・欠航す冬の運河を渡る船

あるいは、
・渡し船/連絡船/観光船欠航寒き運河かな

だいぶ違ってきたかと思い、申し訳ありません。
よろしくお願いします。

点数: 1

「落ち葉舞うコート羽織る娘なりけり」の批評

回答者 なお

添削した俳句: 落ち葉舞うコート羽織る娘なりけり

Ricolaさん、こんにちは。
御句拝読しました。何点か気になりましたことをお伝えします。

まずご自身のコメントですが、イチョウは「紅葉」ではなくて「黄葉」ですね。

次に、俳句の字余り、字足らずです。基本は五七五ですが、「おちばまう」は五音でいいですが、次は「コートはおる」で六音、「むすめなりけり」で七音ですか?リズムが良くないですね。

また、私は「落ち葉舞うコート」と読めてしまって、テニスコートとかが舞台の句かと思いました。なぜテニスコートと思ったかというと、先に「落葉舞う」と季語が出てきたので、もうこのコートは季語の洋服の意味ではないと思ったからです。でも洋服のことでしたね。

あと、「娘」は、基本的に「むすめ」と読みます。以前、この道場で、「娘」を若い女性の意味で「こ」とお読みくださいと言いましたら、先輩諸氏から、それは俳句では使わないと言われました。「女」と書いて「ひと」と読むのもあまりよくないとのことでした。

すみません、話が横道にそれました。
「娘」とか「息子」は「子」でいいと思いますが。

さらに気になりましたことですが、最後の「なりけり」。これは文法としては間違っていないと思うのですが、用法としてはどうなんでしょう。「娘なりけり」は、「娘であったことだよなあ」「娘だったことに気づいたものだ」と、なんだか大げさな感じがします(私だけかもしれません)。

提案ですが、
・子の容姿(なり)を銀杏落葉と見まがえり
・駆け来る子銀杏落葉を身に纏い

さんざん偉そうなことを申し上げた割には提案句が今ひとつで申し訳ないです。ヒッチ俳句さんがおっしゃるように、題材を分けた方がいいかもしれません。
よろしくお願いします。

点数: 0

「燐寸するふと友の顔浮かぶ暮」の批評

回答者 なお

添削した俳句: 燐寸するふと友の顔浮かぶ暮

東野宗孝さん、こんにちは。
御句拝読しました。鍋の友ですか?東野さんはお友だち思いですね。その光景、わかります。

ただ、俳句としては、二、三点工夫できるところがあると思いました。

まず、「燐寸する」ですが、マッチはすらなければ何も始まらないので「する」のは当然、ということは、これは省くことができます。

次に、「ふと」ですが、俳句は大体、ふとした心の動きや発見を詠むものですから、これも省くことができます。

なにも、何でもかんでも省けばいいというものではないですが、省いても意味が通じるものは省いて、その分、読み手の理解を助ける、想像の枠を広げる言葉を入れた方がいいのではと思います。

最後に、「暮」を季語としてお使いかと思いますが、「暮」はこれだけでは季語になりません。「年の暮」にしたいです。

・年の暮燐寸に浮かぶ友の顔

こういうのでもいいかと思いました。
よろしくお願いします。

点数: 1

「流れ星願う間も無く消える暮」の批評

回答者 なお

添削した俳句: 流れ星願う間も無く消える暮

東野宗孝さん、こんにちは。
御句拝読しました。なんとなく、最後の「暮」を季語としてお使いのような気がしますが、「流れ星」が秋の季語で、逆に「暮」は季語にはなりません。秋の暮とか、年の暮というふうに、何の暮れなのかを言って初めて季語になります。

そんなわけで、御句は、季語の点では季重なりもせずに成立しています。あとは類想類句を避けることだと思います。昔から言い伝えのようになっていることを詠み込むと、類想になりやすいです。何しろみんなが思っていますから。御句のように、「流れ星が消えないうちに願い事をすると叶う」とかは、もう世界中で詠まれ尽くしたのではないでしょうか。
ちょっと違うことを詠んだほうが良さそうです。
よろしくお願いします。

点数: 0

「潔し突風に舞う枯れ葉かな」の批評

回答者 なお

添削した俳句: 潔し突風に舞う枯れ葉かな

春の風花さん、こんにちは。
御句拝読しました。いい感じですね。
「潔し」のように、作者の感情をまず表すのは、情景を描写する中で作者の心情を伝えることを基本とする俳句にはあまり馴染まないと言われています。皆さんのご意見はそこを踏まえていらっしゃいます。
ただ、御句の「潔し」は、作者の感情であって、枯れ葉の心境を推測したものではないですね。これを例えば「潔く」などとすると、枯れ葉の心境がわかるのか?となってしまいます。その意味で、「潔し」は正解です。ただ、ヒッチさんのおっしゃるように、感情ぶつけ感は和らげたいと思います。私も下五に持ってくるのは賛成ですね。

何をもって、「潔し」と思ったのか。おそらくは、枝からスカッと離れて飛んでいったさま、あるいは、路上の枯れ葉が一斉に吹き飛んださまをお詠みではと思いました。
なお、「舞う」は枯れ葉や桜の花びらにはピッタリの表現なのですが、それだけにあるある感が出てしまいがちです。ここは飛ばされた感を出して、

・突風に吹き飛ばされし枯れ葉かな
・突風に枯れ葉ちりぢり潔し

などもありかと思いました。よろしくお願いします。

点数: 1

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