俳句添削道場(投句と批評)

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「空高し太陽の塔手を広げ」の批評

回答者 なお

添削した俳句: 空高し太陽の塔手を広げ

こんにちは。お七さん、いつもお世話になってます。

御句、「誰でも思いつくありふれた内容」とおっしゃっていますが、そんなことないですよ。
確かに太陽の塔は、人間が手を広げているような形をしています。いや、事実、そうなのだと思います。それは誰も否定しないでしょう。
問題は、そこに感動して俳句に詠むかどうかです。
これまでに何億何千万という人々が、あの太陽の塔の前を通り、見上げてきたことでしょう。その中には写真を撮る人は数多いたことと思いますが、俳句に詠んだ人数となると、これは少なくなると思いますよ。見ても何も思わず、何もせずに通り過ぎる人がいくらでもいるわけですから。

このサイトで太陽の塔の句を見たのは私は初めてですよ。逆に、この太陽の塔の句を見て、懐かしく思う人は少なくないでしょう。そのきっかけ作りになればいいじゃないですか。
現に私は、リアル万博は行きませんでしたが、高校野球が好きなので、仕事中にもかかわらず万博球場に大阪大会を見に行ったことを思い出しました。懐かしい。

提案句ですが、イサクさんやげばさんから出ていますからもう十分かと思いましたが、それでは悔しいので(笑)、私も一つ置かせてください。

・太陽の塔秋空に手を広げ

季語を真ん中に持ってきただけです。

話は変わりますが、お七さんの巴旦杏の句に対して、小西晴菜さんが素敵なコメントを寄せてくださいましたね。一目見てお伝えしたいと思ったとおっしゃって、ご自分のお母様の巴旦杏にまつわる思い出とともに巴旦杏のいわれというか、興味深いお話を聞かせてくださいました。
私は小西さんの思いとその内容の濃さに感動して、思わず、
・お七詠み晴菜応えし巴旦杏
とか投句しようかと思いましたよ。これは躊躇しましたけど(笑)。

このように、お七さんの詠んだ句が、確実に他の人の目にとまり、心を動かしていくのです。
私もすももが食べたくなり、買い求めました。妻が「どうしたの急に」と不思議がっていました(笑)。

点数: 2

「無月かな光る怪獣夜の塔」の批評

回答者 なお

添削した俳句: 無月かな光る怪獣夜の塔

お七さん、こんにちは。
万博公園第二弾ですね。小西さんのおっしゃっているように、太陽の塔は塔と言っても顔や手がありますから、その意味では夜に見たら不気味でしょうね。多分、ライトアップされていたのだと思いますが、あれってお腹のあたりにもう一つ顔のレリーフのようなのがありませんでしたっけ?あれ怖いですよね。

提案句ですが、まず、「無月」はここでは適切かどうか。月のある無しはあまり関係ないかもです。ましてそこを「かな」で詠嘆しなくてもいいかも。感動の中心はそこではないはずです。
次に、「光る怪獣夜の塔」ですと、光る怪獣と夜の塔が別のものに読めてしまいます。「夜の塔」とは太陽の塔のことです、というのはちょっと厳しいかもしれません。ここは太陽の塔と言ってしまったほうがいいのでは?我々はわかりますが、この句を初めて読んだ方々にはわからないと思います。

そこでこうなりました。
・太陽の塔も怪獣秋の夜は
長く寂しい秋の夜には、いくら明るい「太陽の」塔といえども怪獣にしか見えなくなってしまう、という意味です。

これからますます日が落ちるのが早くなりますね。

点数: 2

「運動会親の涙と子の笑顔」の批評

回答者 なお

添削した俳句: 運動会親の涙と子の笑顔

こんにちは。お七さん、いつもお世話になってます。

御句、ちょっとコメント出遅れてしまいまして、すでに、いつものことながら、他の方々からいいコメントがたくさん寄せられています。

私もお七さんの心境はよ〜くわかりますと前置きしたうえで、重複したりしなかったりするかもしれませんが、コメント置かせていただきます。

御句は、ちょっと感情に流れてしまいましたね。気持ちはわかるのですが情景が浮かびません。いや、もちろん、ここまで書かれては、子を持つ親としてはそれぞれがそれぞれに色々の場面を思い出すでしょう。
それこそ、
・運動会よくぞここまで育ちけり
というところですよね。
それは、運動会でなくても学芸会でも卒園式でも同じことです。

でもそれでは、なんだか問題提起しただけで事例も具体策も示さないようで、お七さんも本意ではないでしょう。
ここは一つ、お七さんがこの俳句のように思った場面を具体的に詠んでみましょう。「ウチの子ったら、◯◯なのに笑っているんですよ。もう、私なんか涙が出てしまって…」という、◯◯のところを伝えましょう。
提案句、本当に一例ですが、
・運動会無事にゴールを走り抜け
・運動会ビリのわが子に大拍手

今回は「親の涙と子の笑顔」で、色々なことを思い出す契機となりましたが、逆の、「親の笑顔と子の涙」だとしたら、これはこれで別の思いがあるでしょうね。負けた子を優しく励ます親の顔という感じで…。

点数: 2

「流星や女子高生の背負うギター」の批評

回答者 なお

添削した俳句: 流星や女子高生の背負うギター

こんにちは。いくたドロップ様、いつもお世話になってます。

御句、私もそう思います。ギター、と言ってもいわゆるエレキですよね。あまりアコースティックギターさんは見かけない…そうでもないか、いるのかな。
私としては、「うわ、女の子がエレキ弾くのか!」と思うから印象に残るのかもしれません。アコギならなんとも自然な感じで印象に残らないからかもしれません。

御句、私は取り合わせが苦手なので、なぜここに流星が出てくるのかはわかりません。
私であれば「文化祭」とか、「芸術祭」とかを上五に持ってきて、語順を変えて、次のように詠むでしょう。
・芸術祭ギターを背負う女子高生
しかしなんだか、
・村祭りギターを抱いた演歌歌手
みたいになりました。

出直します。原句を鑑賞させていただきます。

点数: 2

「玉入れの友に命中知らぬふり」の批評

回答者 なお

添削した俳句: 玉入れの友に命中知らぬふり

お七さん、こんにちは。
可愛い面白い句を有難うございます。
情景が、さーっと浮かんできますよ。こういうことってありますよね。でも、わざとではないし、みんな夢中で投げている中でのことですし、玉入れの玉が当たってもそんなに痛くはないのではないでしょうか?だから小学校の競技になっているのだし、大丈夫ですよ。
砲丸投げだったらそうはいきませんけど…。

今、私は、「わざとではないし」と申し上げましたよね。これがわざとだったら話が変わってきます。
私は、玉がお友達に誤って当たってしまったと読みました。お七さんのコメントもそうでした。
しかしこれって、悪意を持って当てて、知らんぷりしているやなヤツのこととも読めますよ。
それは、「命中」という言葉のせいです。一般的に「命中」とは、何かを狙って、見事当たった時に使う言葉です。過失性がなく、故意/能動的な意味合いが強いです。
三段切れの解消も兼ねて、小西さんのアドバイスが的を射ていると思います。
季語の点は、他の方のコメントにお譲りします。

点数: 2

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