「バッタ跳ぶただ我から遠き方へ」の批評
回答者 なお
添削した俳句: バッタ跳ぶただ我から遠き方へ
こんにちは。ダック様、いつもお世話になってます。
御句、何かの俳句サイトでボツになった句ですね。それがどういうサイトなのかわかりませんから評価のしようがありません。俳句サイトで、入選したければ、選者の好みをよく研究して、その選句傾向にあった句を詠むことだと思います。
御句の感想と提案句を置かせていただきます。「厳しくしてください」とのことですのでそのようにさせていただきます。
俳句は十七音の文学ですが、合計で十七音であればいいというよりも、可能な限り五七五の定型で詠むことが肝要と思います。これは江戸の昔から引き継がれている要点だと思います。それが読みやすく最もリズムがいいからでしょう。
まず掲句:
「バッタ飛ぶただ我から遠き方へ」
五六六になってますね。「我から遠き方へ飛ぶ」ということは「逃げた」だけの話です。この句はそれを「ただ」と入れているとはいえ仰々しく言っているだけですね。
・バッタ飛ぶひと飛び毎に離れゆく
次に「きちきちや着地地点の蝉骸」
バッタが飛んで降りたら蝉が死んでいた、という設定は面白いです。ただ、そこに訴えかけるものがないですね。蝉は死んでいるようでも結構どっこい生きているのですよ。地面に仰向けになっていても。少なくてもまだ地面に死骸があるということは、まだ夏です。秋ではないですね。そこにバッタが飛んでいくからおかしなことになるのではないですか?要するに季節感を描いているようで混在しています。きちきちを出すのならもう蝉は忘れましょう。死骸でも出さない。
・きちきちや着地地点のアスファルト
最後に
「飛蝗暴れる駄駄こねる吾子に似て」
七五五の破調句ですね。破調が悪いというわけではありませんが、それ専門の句会でもない限りは、五七五の方が高評価を得やすいと思います。ただ、どういう句会あるいはサイトか知りませんのでなんとも言えませんけど。
提案句は五七五でまとめてみました。
・駄駄つ子のごとく暴れる飛蝗かな
・吾子に似て飛蝗暴れる駄駄こねる
・駄駄こねる子と暴れたる飛蝗かな
ご参考になれば幸甚です。
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