大空杜さん、こんにちは。
御句、子供の頃の帰省やお墓参りの記憶は懐かしいですよね。私の家は代々この地で生まれて育ちましたので、そういう「故郷の記憶」がない。だから地方の親戚の家に泊まりにいったことがその代替のようになっています。
さて御句ですが、いいんですが今一つ、という感じです。
まず、「向日葵の道をくぐる」という表現。桜のトンネルをくぐる、バラのアーチをくぐる、あるいは藤棚の下を歩くとかはよく言いますが、向日葵の道をくぐるとは?
まあ、小さい頃の記憶なので、細い道の両側に背の高い向日葵が咲いていて、よく卒業式とかで在校生が卒業生を送り出す時に両側に並んで手でアーチを作ったりしますよね、あんな感じに思えたのでしょうか?
私は実景としては「向日葵の道を抜ける」が相当かなとは思いましたが、「くぐる」がこの句の特徴ですのであえて残しました。
次に、最後の「町」。これが意味不明。おそらく、「〜という思い出のある町」という締め方と思いますが、ともすると、町が道をくぐることになりますよ?いや、その捉え方のほうが自然かも。私はこの「町」は要らないかなと思いました。
ちなみに、俳句そのものとは関係ありませんが、ご自身のコメントについて。「里帰り」とおっしゃっていますが、これは結婚した女性が実家に帰ることを言うので、子供がするものではないですよ。母親の里帰りに同行、の意味ならいいですけどね(笑)。
また、「思い出が楽しかったので韻を踏んだ」とあります。言葉尻をとらえるつもりはありませんが、特に韻は踏まなくてもいいのではと思います。それより私は「流れ」を大切にしたいと思い、その意味でも「町」は、なくてもいいかなと。
提案句は、上五「仏花持ち」ですと大人感があり、子供の頃の記憶ですので両手で大事そうに抱えていたのだろうと「仏花抱き」としました。下五「くぐり」は前述のように残し、最後は「町」の代わりに「けり」と結びました。
故郷のある方がうらやましいです。大切になさってください。