「夏と冬割に合わない一週間」の批評
如月さん、こんにちは。初めまして。
御句拝読しました。春と秋は気候がいいから一週間もそんなに長く感じないけど、夏は暑いし冬は寒いし、一週間がとても長く感じるよ。これを「同じ長さ」というのは〜四季を通じて一週間は同じ日数というのは「割に合わない」よ。ということですね。
確かに、真夏や真冬の朝、憂鬱になるお気持ちはわかりますよ。真冬などは寝床から出たくないですよね。
さて、そこは共感したとして、御句を考えてみましょう。
俳句はある一つの季節の特有の花鳥風月を一つの季語で詠みますので、御句のように「夏も冬も憂鬱」というのはちょっと馴染まないですね。
それから、全体に、如月さんのお考え(意見というか、感情というか)ですよね。
俳句は、情景を描写して、そこから生まれる感慨は読み手に任せることになっています。
例えば、「満開の桜」と言えばよくて、そのほかに「きれい」だとか、「うれしい」とか言わなくても、読み手がそれぞれに想像して楽しんでくれます。
そこへいくと、御句では「割に合わない」と自分でおっしゃっていますよね。もうご自分の意見をダイレクトに伝えてしまって、読み手としては、「ああ、そうですか」としか言えない気持ちです。
そもそも、「割に合わない」というのは文法的にもおかしいです。「割に合わない」は、例えば、「これだけ働いてこの給料では割が合わないよ」とかに使います。
コメントの「割り切れない」ならいいですよ。納得がいかないという意味ですからね。
その辺をちょっとお考えいただいて、またご投句ください。お待ちしています。