「空高し太陽の塔手を広げ」の批評
こんにちは。お七さん、いつもお世話になってます。
御句、「誰でも思いつくありふれた内容」とおっしゃっていますが、そんなことないですよ。
確かに太陽の塔は、人間が手を広げているような形をしています。いや、事実、そうなのだと思います。それは誰も否定しないでしょう。
問題は、そこに感動して俳句に詠むかどうかです。
これまでに何億何千万という人々が、あの太陽の塔の前を通り、見上げてきたことでしょう。その中には写真を撮る人は数多いたことと思いますが、俳句に詠んだ人数となると、これは少なくなると思いますよ。見ても何も思わず、何もせずに通り過ぎる人がいくらでもいるわけですから。
このサイトで太陽の塔の句を見たのは私は初めてですよ。逆に、この太陽の塔の句を見て、懐かしく思う人は少なくないでしょう。そのきっかけ作りになればいいじゃないですか。
現に私は、リアル万博は行きませんでしたが、高校野球が好きなので、仕事中にもかかわらず万博球場に大阪大会を見に行ったことを思い出しました。懐かしい。
提案句ですが、イサクさんやげばさんから出ていますからもう十分かと思いましたが、それでは悔しいので(笑)、私も一つ置かせてください。
・太陽の塔秋空に手を広げ
季語を真ん中に持ってきただけです。
話は変わりますが、お七さんの巴旦杏の句に対して、小西晴菜さんが素敵なコメントを寄せてくださいましたね。一目見てお伝えしたいと思ったとおっしゃって、ご自分のお母様の巴旦杏にまつわる思い出とともに巴旦杏のいわれというか、興味深いお話を聞かせてくださいました。
私は小西さんの思いとその内容の濃さに感動して、思わず、
・お七詠み晴菜応えし巴旦杏
とか投句しようかと思いましたよ。これは躊躇しましたけど(笑)。
このように、お七さんの詠んだ句が、確実に他の人の目にとまり、心を動かしていくのです。
私もすももが食べたくなり、買い求めました。妻が「どうしたの急に」と不思議がっていました(笑)。