「春一に鳴く声たりぬホーホケェ」の批評
徹之さんはじめましてです!塩豆です。
私は面白い発想だと思います。座五でホーホケキョと来るのかと思いきやホーホケェで止まる。聴いていると「ケキョケキョケキョ」となんとも下手くそな鳴き方のウグイスもいますよね。
しかし、この発想を俳句として表現するのは非常に難しそうです。まず、この俳句には「春一」「鳴く声」「ホーホケェ」と春の季語であるかどうか関わらず、春を想像させるような言葉が三つもあります。読んでいて少ししつこい感じがしました。ここは「鶯」「囀り」又は春の始めであることを表現したいのであれば「春浅し」「浅春」などの季語の中からを一つ使うといいと思います。あとは「ホーホケェ」以外は春と縁遠い情報があればいいと思います。
鶯や○○○○ホーホケェ
といった具合に。○○に何を入れるのかがメチャクチャ難しいと思います……。私はちょっと今思い付きません…。
最後に、この手の変化球な俳句は伊藤園の新俳句大賞なんかには結構見る気がします。しかし一般的な俳句コンペなどではあまり見ない気がします。そもそもこんなもん俳句じゃねー、と仰る人もいるのかも知れません。一周回って(?)か、プロの俳人の作品には変化球なもの(一概に同一視できないでしょうが)も多いと感じます。
…っとここまで色々言いましたが私もまだまだ俳句修行中の身ですので間違った事を言っているかもしれません。ご了承下さい。
最後あたり日本語雑になりましたけど長文失礼しました。私はこの手の発想は好きです。