「嘘泣きの卒業証書放ちたり」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 嘘泣きの卒業証書放ちたり
こんばんは。
「卒業証書」を「放つ」という組み合わせは魅力を感じます。
上五「噓泣きの」が俳句としては演出過多に見えます。作為が見えすぎると受け手の気持ちが白けることが多いです。
上五を整えれば佳句になりそうな気はします。
例えばこの「放つ」は否定的な「放つ」なので、「放った先」や「放つ目的」は気になるわけで・・
・玄関へ卒業証書先づ放つ
点数: 4
回答者 イサク
添削した俳句: 嘘泣きの卒業証書放ちたり
こんばんは。
「卒業証書」を「放つ」という組み合わせは魅力を感じます。
上五「噓泣きの」が俳句としては演出過多に見えます。作為が見えすぎると受け手の気持ちが白けることが多いです。
上五を整えれば佳句になりそうな気はします。
例えばこの「放つ」は否定的な「放つ」なので、「放った先」や「放つ目的」は気になるわけで・・
・玄関へ卒業証書先づ放つ
点数: 4
回答者 イサク
添削した俳句: おにぎりに嘘とため息野に遊ぶ
おはようございます。
中七問題。
私ならば、ですが、
「ため息」はそこにある事実で描写に使えそう。
たとえば「嘘」を削って、安直に「ひとつ」を置いてみますが
・おにぎりにため息ひとつ野に遊ぶ
何か映像が出た気がしませんか?
「嘘」だけにすると(同じように安直な「ひとつ」を・・・)
・おにぎりに嘘ひとつ混ぜ野に遊ぶ
詩はありそうですが、描写にはなっていないので映像が出にくいですね。
と、昨夜から感じておりました。
点数: 4
回答者 イサク
添削した俳句: 衣替え背負ふラケット腕黒し
こんばんは。
意味もリズムも三段切れになっているようです。
中七と下五をつなぐのがよいかと思います。
「背負う」は元句でも連体形で使っていますので、語順を入れ替えるだけですね。
・更衣ラケット背負ふ腕黒し
更衣は「ころもがえ」と読む季語です。
点数: 4
回答者 イサク
添削した俳句: 畑から飛び出て焦げる雨蛙
こんばんは。はじめまして。よろしくお願いします。
この句をそのまま受け取るならば、
『バーベキューをしている鉄板の上に、蛙が畑から飛び出してきて飛び乗ってしまった。そして蛙が鉄板の上で焦げた』というような意味に無理やり受け取りました。
コメントより
【雨蛙日焼けすることあるのかな?】という妄想なのですね。
↑思ったことを率直に書くなら、こうなりました。これで五七五の形を残して、季語「雨蛙」を使っていますが、俳句
とは言いにくいものになってしまいました。
コメントを整理すれば
◆「焦げる」は実際に焦げているわけではなく「日焼け」の比喩ということですね?
それも、あくまで「日焼けするのかなあ?」という想像なのですね?
ここが「焦げる」ではおそらく伝わりません。
◆想像であって事実ではない、というのが、俳句的には非常に難しいことをしようとしています。受け取る側の私たちは、「他人の想像の言葉をさらに想像する」という非常に難しいことをしなければならないので。
◆たとえば、「畑から」とありますが、コメント的には「死角から」「日向の畑へ」ですね?
飛び出してきた元の場所(from)だけ情報があって、飛び出した場所の全体(to?on?at?)の描写がなかったので、映像を想像するのが難しくなりました。
この句は本来「日向へ飛び出した」という情報が重要なので「○○から」という情報の不要な句だと思うのですが。
で、
妄想を俳句にした名句もあるといえばあるのですが、
受け手に想像させたり、感動させたりしないと、単なる「妄想メモ」で終ってしまいます。
「俳句」としては映像を描写する言葉を駆使して、受け手に伝わるようにする、のが基本だと言われています。この内容ではそもそも「俳句」である必要がないかもしれませんが、まずはそこからです。
たとえば、
コメントから推測できる事実を、コメントの言葉をできるだけ使って・・・
見つけた雨蛙は、事実「日焼け」もしていないですし、「焦げて」もいないので、そこは一旦回避です。嘘になっちゃうので。
・雨蛙飛び出す昼の畑かな
・雨蛙日差しの中へ来たりけり
・太陽の照りたる畑あまがえる
・振り下ろす鍬へ飛び出す雨蛙
などなど・・
まずは「他人に伝わること」だと思います。
点数: 4
回答者 イサク
添削した俳句: 紫陽花や寡黙な人を思い出づ
こんばんは、
ご友人を想っての句ですね。
こういう句は意見を出しにくいものだと思います。まずはこのままお納めください。
で、技法的な話を少し。気に入らなければスルーしてください。
◆現代仮名遣いならば「思い出ず」、歴史的仮名遣いならば「思ひ出づ」どちらかに統一です。「出ず」が文語なので、「思ひ出づ」がよいかと思います。
◆「人」これは映像の具体性が乏しく、家族にも親戚にも受け取れます。その曖昧さを狙って使うのであればいいですが、この句では「友」と言ってしまってもよいのでは・・
・紫陽花や寡黙な友を思ひ出づ
添削道場としては一旦ここまで。
で、さらに少し。
下五「思い出す」は、ご友人を思い出しているからこの句を作っているので、省略は可能、という意見があります。その場合、五音分をご友人の行動・背景などの描写に使うことが可能です。もんな様の中にあるご友人の記憶を書きたければ、そういう方法もあります。
一方、現在の自分を詠んでいる句とすれば、「思い出す」のは自分であり、省略することは難しいという意見もあります。ただこの場合、「寡黙な友」と「思い出している自分」の両方を句の中で主役に立てようとしている、ということになるので、このままではやや句の焦点がブレます。
この句を、単なる日記俳句ではなく、俳句として推敲していくおつもりがあれば、ご参考まで。
点数: 4
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