「街に出てなほ万緑の音の中」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 街に出てなほ万緑の音の中
こんにちは。
N俳に限らず、紙面に残るものはちょっと感動しますよね。某なおじい様の朝日俳壇にも期待。
さて御句ですが、ちょっとだけひとりよがり感を感じていました。「街に出てなほ〜音の中」としたのを作為と感じたから、だと思います。
「音の中」を生かすなら上五「街に出て」が違和感かな?最終形が見えないので、どこを変えるべきか難しいです。
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回答者 イサク
添削した俳句: 街に出てなほ万緑の音の中
こんにちは。
N俳に限らず、紙面に残るものはちょっと感動しますよね。某なおじい様の朝日俳壇にも期待。
さて御句ですが、ちょっとだけひとりよがり感を感じていました。「街に出てなほ〜音の中」としたのを作為と感じたから、だと思います。
「音の中」を生かすなら上五「街に出て」が違和感かな?最終形が見えないので、どこを変えるべきか難しいです。
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回答者 イサク
添削した俳句: ロゼの飛花鸚鵡貝かな舞い上がる
こんにちは。
◆先に出ている「飛花」の説明、「ロゼ」は不要。
「桜の花」なので桜色、それに近い色、という説明は要りません。
◆「鸚鵡貝かな」が「鸚鵡貝かな?」という疑問のように見えます。現代語の「かな」と、切れ字で使う「かな」はそれなりに意味が違うので注意です。
◆巻貝の渦巻が「黄金比」であるのはそこそこの専門知識ですし、この書き方では「渦を巻く」の比喩であるとは伝わらないですね。
ただし取り合わせとしての「飛花」と「鸚鵡貝」は、とても興味深いおもしろい題材だと思います。
・飛花の風鸚鵡貝巻く渦の風
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回答者 イサク
添削した俳句: ランドセル準備する夜こどもの日
こんばんは。
コメントの「連休の合間だったのかとなるかなー」という理屈、これが邪魔をして詩が弱まっています。
季語「こどもの日」の翌日5/6に学校へ行く予定がある(平日である)という説明しかなく、季語「こどもの日」が生きていません。基本的に翌日が平日の日付季語ならなんでも入ります。
たしかに祝日法改正で5/6は月~水も振り替え休日になってしまうので、レアなパターンにはなったのですけどね・・・
下五は「こどもの日」よりも、例えば「夏休み」や「七日かな」の方が、季節の実感が出るのでは。
・ランドセル準備する夜夏休み
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回答者 イサク
添削した俳句: はにかみを落花表す猫の頬
おはようございます。
意味がよくわかりませんでした。コメントを見ても。
もしかして、花びらがたまたま(?)猫の両頬に落ちて、顔の赤らみのマンガ的表現のようになって照れているように見える、ということでしょうか?
それはぶっちゃけ、ピンク色の紙の切れ端でも同じなのでは?
(それで意味が合っているかどうかわかりませんが)
「落花」という、桜の花が散ることを惜しむと同時に花びらが散る美しさを愛でる感慨の季語が死んでいます。
◆まず、句を受けとった人間に意味がわかるようにする。
◆季語「落花」の、せめて季節感だけでも出す。
・猫すらも見とれるほどの落花かな
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回答者 イサク
添削した俳句: 葉桜やかのとき落つるがなかりせば
こんばんは。はじめまして。よろしくお願いします。
まず前提として、二重の意味を込めるのは俳句ではかなりのハードモードです。
おそらく、普通は無理。
その上で。
コメントの「あぁ葉桜よ、あのとき落ちることがなかったとしたら、今でも桜で満開であっただろうに」これを俳句で表すという難易度が劇的に高いです。
なぜかというと、葉をつけた桜の木を愛でる季語「葉桜」に、「散らなければ今でも桜が満開であっただろう」という感慨がありえないからです。それは目の前の「葉桜」を否定しているような感慨です。
コメントの内容のように過去を振り返るのは、基本的に俳句には向いていません。
俳句では「桜」は散るからこそ美しく、「葉桜」に初夏の美しさと生命力を感じ、「桜紅葉」に儚さと冬の訪れを感じるので・・・
過去を偲ぶこと優先ならば、別の表現手法のご検討を・・・
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