「金木犀の咲く路で立ち止まる」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 金木犀の咲く路で立ち止まる
おはようございます。
散文になってますね。とりあえず語順だけ変えてみます。
・立ち止まる金木犀の咲く路で
それから、他の方へのコメントですが、「走る雲」が季語と言うのは初耳です。
どちらの歳時記に載っておりますか?
木枯やひろ野を走る雲のかげ/森鴎外 季語:木枯
砂の如き雲流れ行く朝の秋/正岡子規 季語:秋
点数: 3
回答者 イサク
添削した俳句: 金木犀の咲く路で立ち止まる
おはようございます。
散文になってますね。とりあえず語順だけ変えてみます。
・立ち止まる金木犀の咲く路で
それから、他の方へのコメントですが、「走る雲」が季語と言うのは初耳です。
どちらの歳時記に載っておりますか?
木枯やひろ野を走る雲のかげ/森鴎外 季語:木枯
砂の如き雲流れ行く朝の秋/正岡子規 季語:秋
点数: 3
回答者 イサク
添削した俳句: 運動会駆ける子ら追うつむじ風
こんばんは。
季語「運動会」難しいですね。
季語「運動会」で運動会であることは説明できているので、あとは「描写しなければ伝わらないこと」を描写していくのが基本ではあります。
御句は「つむじ風」に注目して主役になっていますが、本当に運動会の俳句の主役は「つむじ風」でいいのかな?と思わされます。
「つむじ風が子を追う」ならば、子は止まっていません。運動会であることがわかっているので「駆ける」は不要かも?
あとは主役の調整や、語順もあるかな?
・つむじ風に追われる子らや運動会
でもなぜ「つむじ風が子を追う」というシーンを選んだのか・・・と思うと、もう少しかっこよくするか、おかしみ(俳諧)を出すか、したいですね。
・子が風を抜き去ってゆく運動会
・つむじ風の砂にまみれて運動会
点数: 3
回答者 イサク
添削した俳句: 天高し百歳生くるはいいのか悪いのか
こんばんは。
字余りそのものは、作者が意図的にやっているならかまわないのですが、
(それが有効かどうかは別問題)
久田様とのやりとりの食い違いが気になりました。
こちらの句、
『てんたかし ひゃくさい いくるは いいのか わるいのか』
どう数えても22音あります・・・
逆に久田様の『温泉の街の川原に揚がる冬花火』
これ「温泉の街」を「ゆのまち」と読むのですよ。私はあまり好きな表記ではなく、使いませんが。
なので、「ゆのまちの かわらにあがる ふゆはなび」で十七音です。
点数: 3
回答者 イサク
添削した俳句: 蜻蛉や轍に残る水たまり
おはようございます。
まずは横から失礼します。 >いるか様
一部の季語で「三音だが慣例的に四音でも読んでいいもの」がありまして・・・
歳時記に明確に掲載されている有名なところでは
蜻蛉⇒とんぼう
蛍⇒ほうたる
あとぱっと思いつきませんが。
掲句ですが、「水たまり」なので「残る」が不要かと思いました。あるいは「轍に残る水」とすれば「水たまり」が不要ですね。
・蜻蛉や深き轍に残る水
点数: 3
回答者 イサク
添削した俳句: 一日は月を探して終わりとす
こんにちは。
言葉の選び方はカッコよさげではあります。
雰囲気を出そう、という気持ちはわかります。
◆この句の【月】が季語として生きているかどうか?
「探している」だけでどんな月かわからないので、肝心の【月】の映像が薄いようです。
また、秋という季節感も薄くなっています。春でも冬でも月を探していそうな感じ。コメントによれば実際、そのようですね。
◆『自分の意志でそうしている行動』しか書かれていない俳句なので、【自分の行動の報告】ばかりで描写が薄い、というのもあります。
「私はこうしました」という日記・報告句は詩が出にくいことが多いです。
◆小さいところでは、「一日」に「ついたち」の誤読がありますね。これはルビがあれば回避できる誤読ですが。
時間軸を短くしたり、秋の季語「月」を主役にしてとしてきちんと映像を立たせたり、ということをした方がよさそうに感じます。
「今日の月」で十五夜限定になりますが、以下のような方法もあるかと。
・今日の月探して今日を終わりとす
点数: 3
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