「葉先まで焦がれて散るは楓かな」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 葉先まで焦がれて散るは楓かな
こんばんは。俳句の世界にようこそです。
一読、文章にはなっているが俳句にはなっていない、という感じを受けました。
コメントを読んで、何をしたかったのか理解しました。
まだ俳句のことをあまりご存じないのだと思いますが、いろいろ詰め込もうとしすぎて、ちょっとややこしいことになってしまったように感じます。
◆明確な季語がありません。
「散る楓」の部分が、「紅葉散る」あるいは「落葉」の意味にはなると思います。が、ここはあまり生きていません。
◆「焦がれて」という擬人化は紅葉のことだと思うのですが、後半で「散る」と入れてしまって、どんな風景を詠んでいるのか掴みにくい感じがあります。
コメントでは意味「葉っぱの先まで真っ赤に染まる楓がまるで恋に焦がれる人のようにおもえた」とあり、感動のポイントは「赤く染まっている」こと。散っている様子を入れるのは不要に感じます。
ということで、句の感動ポイントの「紅葉」を季語として考えてみます。五七五のリズムの問題もあるので「楓」という樹の種類の説明は一旦抜いてみます。
・葉先まで焦がれたような紅葉かな (もみじかな)
もし「散る」をどうしても入れたいなら、「紅葉散る」という季語もありますが、句の意味が「葉っぱの先まで真っ赤に染まる楓」のことを詠んでいるので、感動ポイントがブレる気はします。
・葉先まで焦がれるように紅葉散る (もみじちる)
「楓」を入れるのもも、上手に入れないと説明臭くなるかもしれません。
・葉先まで焦がれ楓の紅葉す (こうようす)
点数: 1