「早暁の空気の軽き春着かな」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 早暁の空気の軽き春着かな
こんばんは。
形はできている句だと思いますが、「空気」だけ浮いて見える感じもあります。「空気の軽き」中七全体が、なんとか説明しようと入れた単語っぽくは感じます。
もしかしたら、「春着かな」で締めるのを諦めた方が良い句材かもしれません。
・春着着て朝の空気の軽さかな
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: 早暁の空気の軽き春着かな
こんばんは。
形はできている句だと思いますが、「空気」だけ浮いて見える感じもあります。「空気の軽き」中七全体が、なんとか説明しようと入れた単語っぽくは感じます。
もしかしたら、「春着かな」で締めるのを諦めた方が良い句材かもしれません。
・春着着て朝の空気の軽さかな
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: 児童書の多き書店や春を待つ
こんにちは。
綺麗な句なんですけどね・・・
◆特殊な環境を除けば「児童が多い街」⇒「その親世代も多い街」は納得できますので、コメントの「子育て世代の多く行き交う街」は理屈では想像できます。
ですが、それを想像する前に句の鑑賞が完了してしまうので、句だけではそこまで想像が至りませんでした。
◆きれいな句なんですが・・と思っていたら「児童書の多い書店」が「春を待っている」という理屈あるいは擬人化っぽい流れで句が作られていることに気付きました。ここが鑑賞の膨らみを妨げている気がするような。そうでもないような。
「春待つ」は便利な時候季語ですが「待つ」という動詞を含む季語。「待っている主格」が曖昧なので、「何が春を待っているか」という意味が句の構造で変化します。ここは意識した方が良いようですね。勉強になります。
語順あるいは季語を変えるとしっくりくるかな?
・待春や書店に児童書の増えて
・児童書の多き書店や春隣
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: 風邪に母ウイルス母はいないやう
こんばんは。
ちょっと意味がとらえきれず、コメントを見ました。
◆「ウイルスには母がいない」という概念を述べているだけなので、ちょっと俳句にするにはしんどい内容ですね。
また「風邪の(人間の)子には(看病してくれる)母がいる」という内容も観察・描写というよりは概念に近いと思います。
◆コメントでは「いない」と断定しているのに、なぜ句では「いないやう」と音数を余分に使って推量になっているのでしょう?「いない」「おらず」と断定すればよいと思います。
ちょっと変則的に・・
・風邪の吾に母 ウイルスにいない母
まあ俳句かつ十七音にするには厳しい内容でしょう。
・風邪の吾にやさしき父母の居たりけりウイルスといふ親なきものへ
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: 月見れど見へぬ君住む隣り町
こんにちは。
「見ゆ」問題は先に出てますので置いておきますねー
安定のなお様節の句。
句意をいくつか思いついておりまして
1.本来の句意「月を見ても、隣町は見えない」
2.「君の住む隣町は(今日は曇っていて)月が見えないらしい」(作中主体の住む町から見えているか見えていないかはご想像にお任せ)
3.「見えぬ君(透明人間!?それともお亡くなりに?)が住む隣街に今います。こんなにきれいな月を見ているのに君の姿が見えない」
他にもあるかな?
気になる点は
◆上記の受け取りのブレについて、「誤読」ならまだしも「受け手の迷い」になるケースがあります。少し整理できそうです。
◆「見れど」の箇所、「見る」という言葉を入れる是非と、「見れど」という感情の接続助詞を入れる是非と、どちらもあります。
◆「隣町が見えない」という句意ですが、なぜ「君本人」ではなく「街」? 抒情という作為を感じてしまいつつの鑑賞になりました。
◆また、「君の住む街」で句意は十分なので、「隣町」に音数合わせ感もあります。
たとえば、向かっている風景なら「街」の必要性も出るかと。
・冬月や君住む街はまだ見えず
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: 冴ゆ月へ昇りゆきたりエレヴェーター
こんにちは。細かいイサクです。
◆動詞「冴ゆ」は下二段活用で「冴ゆ」は終止形になるので、名詞の前に置くなら連体形「冴ゆる月」が正しいです。まずはここから・・・
◆判断が難しいところですが、「冴ゆ」は時候の季語。それに対して句は「月へ」という天文の使い方をしています。
いるか様ご自身もコメントでおっしゃっておりますが、天文季語「冬の月」の方が個人的にはしっくりきます。
あと、語順逆にしてみるのはどうでしょうね。
・エレベータ昇りゆくなり冬月へ
この語順なら、「へ」の作為を出さずともよい句な気がします。
「へ」を抜けば、時候季語「冴ゆ」でも気になりません。
・エレベータ昇りゆくなり月冴ゆる
点数: 2
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