「冬瓜の蔓の絡まり迷路かな」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 冬瓜の蔓の絡まり迷路かな
こんばんは。
冬瓜の蔓の絡まりが迷路のようだ、という意味でよいでしょうか?
とすると「迷路」が比喩なので、あまり「かな」の前に置いて強調するのは俳句らしくなさそうに感じます。
また、「迷路」「絡まる」はどっちかだけにしたいかも。
・冬瓜の迷路の如き蔓模様
と置いてみましたが、「冬瓜」はその実が季語なので、「冬瓜の蔓」は季語として生きているかどうかは微妙なところです。
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回答者 イサク
添削した俳句: 冬瓜の蔓の絡まり迷路かな
こんばんは。
冬瓜の蔓の絡まりが迷路のようだ、という意味でよいでしょうか?
とすると「迷路」が比喩なので、あまり「かな」の前に置いて強調するのは俳句らしくなさそうに感じます。
また、「迷路」「絡まる」はどっちかだけにしたいかも。
・冬瓜の迷路の如き蔓模様
と置いてみましたが、「冬瓜」はその実が季語なので、「冬瓜の蔓」は季語として生きているかどうかは微妙なところです。
点数: 0
回答者 イサク
添削した俳句: 朱の群れにピンクあり土手の彼岸花
再訪ですー
・「土手」と入れるメリット
★土手の映像が出る。
★映像を「土手の彼岸花」という空間へ誘える。
★植え込み、プランター、休耕田、自宅の庭、などの風景ではないよ、とはっきり伝えることができる。
★ある程度遠景で広い視野角の描写、ということになる。背景の空・川・河原も想像できる。あと、「土手」から想像できる風景にも広げられる。個人的には里山や田園、住宅地も想像できる。
デメリット
◆「土手に」「土手の」に説明感が出ないようにする必要がある
◆「土手に」「土手の」で三音使う
◆風景が固定する(デメリット?)
・「土手」と言わない効果
◆だいたい上記の逆。プランターの彼岸花の映像にもなり得る。
◆三音余分に使える。
◆「朱の中にピンクがある」が優先で「土手」なんていらないんだ!という考え方もある。
というところで、この句で「土手に」とわざわざいう必要があるかどうか。私は「作者があると思ったらある」と思いました。「土手の」で確実に映像が土手の彼岸花群に誘導されていきますので。
「入れなくてはいけない」なんてことは俳句では滅多にないので、論争するつもりはありません。
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回答者 イサク
添削した俳句: 秋空や雲は動いているらしい
こんばんは。何か所かでご一緒させていただいてます。
◆「空」と「雲」の近さが気になるのはお二人から出てますね。
◆「や+口語」を組み合わせること、私はあまり気にしない方ですが、この句は確かにどこか気になる気はします。考えましたが理由まではわかりません。近さが原因かもしれません。
後半は一文字変えれば「現代仮名遣い+文語」にはなります。
・鰡跳ぶや雲は動いているらしき
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回答者 イサク
添削した俳句: 金木犀の咲く路で立ち止まる
再訪です。
自由律というなら
・金木犀に立ち止まる
でも同じ風景がではないでしょうか。
「咲く」は不要ですし、「立ち止まる」と言うならその場所は通過するはずだった場所。想起されるのは道っぽい場所でしょう。
自由律俳句は単に自由な文章(散文)ではないので・・・韻文(詩)として成立していることが必要です。個人的には定型より遥かに険しい道です。
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