「まだまだ逆走はしない老いの春」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: まだまだ逆走はしない老いの春
こんばんは。
「老いの春」が別の意味にとられそうなところが気になりますが・・
それはさておき
五七五に寄せられるときは寄せたほうがよいと思いました
・逆走はまだまだしない老いの春
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: まだまだ逆走はしない老いの春
こんばんは。
「老いの春」が別の意味にとられそうなところが気になりますが・・
それはさておき
五七五に寄せられるときは寄せたほうがよいと思いました
・逆走はまだまだしない老いの春
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: お握りと夫とふたりの花見かな
おはようございます。
「と」は並列を強く出す助詞で、リフレインしているので「おにぎりと夫と」ここまでが強く残ります。
そのあとの「ふたり」、考えれば意味はわかりますが「おにぎりと夫とふたり」という並列感があり、感覚的に違和感でした。
上五「おにぎりと夫」を並列にするのか、「夫とふたり」の「と」生かすのか、の選択で推敲できそうです
・お握りと夫とわたしの花見かな
(並列の「と」を生かす)
・おにぎりを持ちてふたりの花見かな
(本来の意味に近づけて、ふたりの関係を省略してみる)
・おにぎりみっつ夫とふたりの花見かな
(「夫とふたり」を生かす上五を考える)
たとえば上のような感じです。いかがでしょうか
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: 宅配やペダルも軽き春の昼
こんにちは。はじめましてでしょうか?よろしくお願いします。
◆「ペダルも軽き」で、作中主体は自分が自転車にのっています。
上五「宅配や」で詠嘆・切れを入れていますが、これは【自分】を詠嘆してしまっているのではないかなあ・・・少し違和感でした。
上五は素直に繋いで、季語との間で切れを入れた方がよいのではないかと思いました。
・宅配のペダルの軽し春の昼
で「宅配」の描写ではない説明感や、季語の選択など、ここからまだいろいろできそうです。ここからは作句意図も絡んできますので・・
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: 初さくら縫い目の緩い推しの服
こんにちは。はじめましてでしょうか?よろしくお願いします。
この句は、形はできていると思います。
句意をどう受け取るか、難しいですね。「推し」の姿が見えてきません。
普通「推し」と言えばお気に入りのアイドルや歌手・スポーツ選手・ユーチューバーなどの有名人だと思うのですが、この句では【服の縫い目の緩さ】が見えていることから、とても近くまで接近できる相手と想像します。なおかつ、顔や声ではなく「服」に注目するということは、頻繁に会える相手なのでは?と。
とすると、最近はやりの「推し友」や、自分の子を「推し」と呼んでいるのか?など身近な対象という考え方もできるのですが、【服の縫い目の緩さ】に注目するというのはどういうシチュエーションなのだろう?と悩みます。
「推し」の映像化。「推し」の姿が見えてきたら、「初さくら」との響きあいもわかると思うのです。
ただし、
「推し」というのはキラキラ輝いて見えるものだと思います。「初さくら」と映像の主役を奪い合ってしまいそう・・という懸念はあります。
句意が微妙にわからないので、提案句は出しにくいですねぇ・・
句意は全く違いますが、
・初さくら推しの真似した服を着て
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: 初さくら縫い目の緩い推しの服
再訪です。
もしかして「推しの服」とは「お気に入りの服」という意味でしょうか?
と解釈すると映像が変わりますね。
以下、そちらの解釈でコメントします。
「縫い目の緩い」「推しの」がどちらも「服」を説明しています。
「縫い目の緩い」は大丈夫だと思いますが「推しの」は気持ちの説明であって映像がありません。「推しの」=「お気に入りの」という説明なしで、映像描写でそう思わせたいところです。
なぜ中七下五で「服」に注目するのか、説明なしで納得させていただければ。
それによって、季語が生きるかどうかも変わってきそうです。
点数: 2
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