「霜凪や四世紀閉じる御神木」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 霜凪や四世紀閉じる御神木
コメントありがとうございます。
さきにそちらを。
>「俳句は、記録ではなく作品であるから、提出されればもはや作者から離れる」という一般の考えがあります。それ以前の俳句デッサン、特に風景描写を見ておいでのように思えます。つまり、先ずは作者の意図(題意)を明確化することが第一歩ということですね。
>「俳句は17字の作品。その中で、明確化できる点を吟味するしかない方法はない。その後に、相手の解釈がある。」のですね。
私は残念ながら(?)そこまで手順を追って考えているわけではなく、もっと感覚的なものを大事にしています。デッサン・風景描写というものを殊更重要視しているわけではありません(重要ですけど)。
作者の意図(題意)を明確化することが第一歩というわけでもなく、意図とは違って偶然良い句になったと判断したとしても、「良い句だと思います」とコメントします。そういう点では「俳句は作品である」と見ています。
手放しで褒めるような句と思わなかった場合、その理由を自分なりに考察してコメントするようにしています。その際、投句者のコメントがあれば参考にして(せざるを得ないです)、句から受け取った句意とギャップがあれば報告しますし、日記・報告の俳句については気が付けば指摘します。なので、そのように捉えられたかもしれません。
投句のコメントについて、
別にポリシーを持っているわけでもなんでもないですが、ここは投句者の自由にさせてください。要望に応えられず申し訳ありません。
さて、
御句、「(四世紀)閉じる」の主観がやや気になりました。
俗な表現ならば「役目を終える御神木」ということですね?
氏子様方のご心情は計り知れませんが、「これから伐採される」という未来のことを俳句に入れようとすることが「理屈」に感じています。なのでこのままの句では案が上手く出せません。
記録俳句として御句は残すとして、現状のご神木そのもの、あるいは神木そのものではない何か(伐採することを決めた皆様の様子、周辺風景など)の方が句材としては適しているものと思います。
季語「霜凪」については、理屈ではそのとおりと思いますが、心情に寄り添いすぎて「近い」季語であるとも感じます。
・四世紀を護る神木へ霜の降る
・着ぶくれて神木伐採まで五日
点数: 0
