「村里の焚き火やお日様の欠片」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 村里の焚き火やお日様の欠片
おはようございます。
「お日様の欠片」チャレンジとは「句またがり」のことですか?それとも?
「句またがり」ならば、俳句1年目のプレバト俳人も多用している技法ですし、ガンガンやってみたらいいと思います。
御句
◆一読で気になったのは「村里の」という上五でした。場所・風景を説明的に置いて、かつ音数合わせのような上五です。
「都会の焚き火」はあまりありませんのでわざわざ「村里の」と言う必要は?とも思いますし、作者がどうしても説明したいとしても「村」「里」の二音でよいところを「村里」と言う理由は?とも思います。
◆後半の「お日様の欠片」
「お日様」という幼い表現を使った理由が掴めませんでした。
「熱・光」がある表現のため「焚き火」と近く、焚き火のことを比喩しているように感じてしまいます。が、比喩としてはやや陳腐で幼稚な表現。
「(夏の太陽と比べて)お日様が欠片程度にしか感じない」という意味に解釈し、取り合わせと受け取ることもできます。が、「太陽」とせずわざわざ「お日様」とした意図は汲めず。
こどもの発言を俳句にするという手法もあります。が、ならば上五はますます「村里の」という説明よりも他にやれることがありそうです。
たとえば
・おひさまのかけらあつめて焚き火かな (こどもの発言俳句に寄せて)
・太陽が欠片のようだ焚き火の背 (太陽が弱く感じることとの取り合わせ)
点数: 2