「蒲公英の一輪咲きてもういいかい」の批評
こんばんは。
コメント欄にある【蒲公英の一輪咲きて「もういいかい」】
こちらを正しい表記としてコメントします。
御句の形では、「もういいかい」と蒲公英が言っている、あるいは作者が蒲公英に「もういいかい」と呼びかけている、というのが普通の受け取り方だと思います。こどもたちの姿は見えません。
なぜか。
こどもたちの姿を全く描写せず、句に登場しているのが「蒲公英」と、暗黙の「作者(句の主体)」しかいないように感じるから、だと思います。かくれんぼの常套句を借りているのは理解しますが、こどもを描写しなさすぎかと。
さらに細かくいくつか。
◆十七音のうち十二音という三分の二以上を蒲公英に使っており、作者の意図として「蒲公英を強調したい」という意図は見えます。が、蒲公英に音数を使い過ぎて、結果的に詰め込み過ぎになっていると思います。
「一輪」「咲きて」が、句意に本当に要るかどうか検討が必要です。特に「咲きて」は、下の項目の理由もあり、不要だと思いますが・・
◆句では「咲きて」としています。動詞の連用形に接続する「て」は完了の意味を持つ助詞です。この句の蒲公英は「咲きて(咲いて)」その後で「もういいかい」と問うているので、コメントの意図とちぐはぐですね。
蒲公英が既に咲いているなら「もういいかい」ではおかしいですし、咲く前ならば「蒲公英の蕾」として描写した方がよいと思いますが、いかがでしょう?
◆下五の六音字余りは気にならない形だと思います。
本来の俳句のテクニックとしては、「蒲公英や」とすればそこに蒲公英が咲いているのは伝わります。基本形では、残り十二音をこどもの描写にあててもいいぐらいです。
・蒲公英やひとり残る子「もういいかい」
↑
例えばこれで、【咲いている蒲公英+かくれんぼの子】という映像は出ていると思います。
どうしても蒲公英が「もう咲いていいかい?」と聞いた、という意味に寄せたいのであれば
・蒲公英の蕾「もういいかい」の声
↑
例えばこのように二物にすれば、【蒲公英の蕾のそばで「もういいかい」という声が聞こえてきた。こどもたちの遊び声だが、咲こうとしている蒲公英の声だったかもしれない】という受け取りもできるかもしれません。
いかがでしょうか?