「行く秋や別れを惜しむ帰り道」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 行く秋や別れを惜しむ帰り道
こんばんは。はじめまして。
季語「行く秋」を使ってますね。俳句を勉強している方でしょうか?
初心者扱いをしてすみませんが、段階を経ていきます。
「季語ひとつ」「五七五」はできています。
「日本語の意味」もわかります。
「三段切れ」「文法ミス」「誤字」などのイージーミスもないようです。
なのでけーた様は、俳句の【形】の基礎はできていらっしゃると思います。
次の段階です。
どんな風景を詠みたかったのでしょうか?それがわかりませんでした。
御句を見て、誰と誰が別れを惜しんでいるのか、どこからどこへの帰り道なのか、想像することが難しいです。この点が、けーた様も気づいている「全体的に抽象的な感じ」なのだと思います。
なぜそうなってしまったのかというと、
◆「別れを惜しむ」という言葉は慣用句というか常套句ですが、ここに全く映像や具体性がありません。「別れを惜しんでいる」という説明でしかありません。
◆「帰り道」これも、どこからどこへの帰り道か、この言葉だけでは想像が難しい言葉です。
で、さらに原因をたどれば、けーた様が【誰の別れ】【どんなシチュエーションの別れ】を伝えようとしているのか、おそらく自分で整理できていないのでは?と思われます。
伝えようとしている映像を整理せずに、五七五にそれっぽい単語を繋げたような印象を受けます。これはポップスの歌詞などでも同じで「それっぽい単語」を並べただけでは、うすっぺらな内容しか伝わりません。
「伝えたい映像」が整理出来れば、要る言葉と不要な言葉が整理できます。「惜しむ」はいう必要がないかもしれませんし、「帰り道」も要らないかもしれません。
たとえば
・行く秋や別れの駅の帰り道
⇒「駅」を入れるだけで「駅」という映像が出て、駅から家へ帰る道だということがわかりませんか?
・行く秋の別れの駅の親子かな
⇒こうすると「親子」の姿まで想像させることもできます。大学入学や就職で親元を離れる青年と、見送る親かもしれませんね。
・行く秋や別れの親子泣く駅舎
⇒「泣く」まで入れると、クサさ、説明しすぎ感が出てきます。言わずにおいて「別れるのだから、泣いているかもしれない」と思わせたいところです。
こんな感じです。
言葉には力があります。いろいろ試してみてください。
点数: 4