「荒れ畑を打ち続けたり東北忌」の批評
回答者 秋沙美 洋
添削した俳句: 荒れ畑を打ち続けたり東北忌
時期的にも意味的にも、御句における「東北忌」を3/11の震災とは無関係の言葉だとするのは無理があるでしょう。その上で、「東北忌」という語を用いた句を俳句添削道場のようなオフィシャルな場に出す事の是非、というのは一考の余地があると思います。
〜〜忌という季語は色々ありますが、そのいずれも故人の生き様を偲んだり(桜桃忌、子規忌)、過去の出来事に想いを馳せる(敗戦忌、原爆忌)といった意味合いをはらみます。
その点、東北大震災は現在進行形で向き合わなければならない問題が山ほど残っている出来事です。原発問題然り風評被害然り。行方不明の家族を今なお探し続ける人の存在もあります。
「東北忌」としてしまうと、震災を過去の出来事として客観的に見つめるような、そんな句になってしまわないか。そこは詠み手の責任として考えるべきだと思います。
イサクさんがこの句をどれほど真剣な想いで詠んだかは僕の知る所ではありませんが、生半可な気持ちで取り扱って良い言葉で無いのは確かかと。
念のため申しておくと、イサクさんの句にケチをつけよう等という意図はありません。句の出来は悪くないと思います。
震災を忘れないためにも、震災を詠む意義は大いにあると考えます。しかしながら、問題を抱える当事者がまだ沢山いる事を詠み手は強く強く意識すべきと思います。
点数: 3