俳句添削道場(投句と批評)
イサクさんのランク: 師匠2387段 合計点: 7,280

イサクさんの俳句添削依頼

最新の投稿順に並んでいます。回答が付いた投稿が先頭に移動します。

からからにすきとほるよに冴ゆる空

回答数 : 3

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バス揺れる時雨しとしと傘ころぶ

回答数 : 4

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暁雲を眺む車窓の霜雫

回答数 : 2

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つむじ風跳ねる落ち葉を纏う足

回答数 : 6

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焚き火消す空より闇が落ちてくる

回答数 : 6

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イサクさんの添削

「草餅やふるさと思う母の味」の批評

添削した俳句: 草餅やふるさと思う母の味

おはようございます。

まず、雀昭様のお気持ちの句としてはこれで。

添削道場というサイトとしてはいろいろあります。

◆中七下五「ふるさと思う母の味」ここが、俳句だけでなく多くの人がいろいろな文章で使おうとした言葉、いわゆる【類想】です。
 過去に誰かが使ったことのある言い回しですので、雀昭様オリジナルの俳句、という感じが薄いです。
◆昔懐かしい味の季語食材ならなんでも合ってしまって句の風景や気持ちがほとんど変わらない、言い換えれば季語が生きていない、いわゆる【季語が動く】状態です。
たとえば
・田楽やふるさと思う母の味
・浅利汁ふるさと思う母の味
などに変えても、句の持つ意味があまり変わらないのです。

草餅を食べて昔をおもう気持ちは受け取りますので、俳句としてはさらなる工夫を考えてみてください

点数: 1

「ファンファーレ春選抜の土煙り」の批評

添削した俳句: ファンファーレ春選抜の土煙り

おはようございます。

コメント抜きでも春の高校野球を詠みたいのだろうなあ・・・というのは連想できますが、いろいろと指摘したい点が。

◆義友真様のコメントの映像があまり出てきていません。
 二塁の土煙が上がる(クロスプレー?)⇒ファンファーレ、だと思いますし、義友真様のコメントもそうなっていますが、語順が逆なことが損していると思います。
 句の中に具体性のある言葉が少ないことも、損していると思います。「土煙り」と曖昧にせずに、「二塁打」や「二塁」は書いた方が良いのでは。そうすれば野球の試合中の臨場感も出ると思います。

細かい点で、
◆「ファンファーレ春選抜」がつながりが乱暴に見えます。
 どこで切れていますか?もしくは切れていない??
 ファンファーレ/春/選抜 と切れているなら、詰め込み過ぎ。
 「春の選抜」という意味で「春選抜」だったら、丁寧に「春の選抜」としたいところです。
◆個人的には「選抜」で高校野球を表すのはあまり好きではない(【選抜】という日本語を大切にしていない気がして)ですが・・「春のセンバツ」というのは人口に膾炙しているとも思いますし、ここは好みの問題で。

提案句では「土煙」よりもランナーに注目してみます。
「選抜」を抜いても野球と理解できれば、受け手に託すこともできます。

・ファンファーレ受くや春日の二塁上

点数: 1

「鴬や難聴の母電話待つ」の批評

添削した俳句: 鴬や難聴の母電話待つ

こんばんは。

良い句になりそうな素材だと思います。
ですが、

季語以外の十二音の部分で言いたいことが多すぎる感じがあります。
そのため、
◆中七下五「難聴の母が電話を待っています」という説明だけで終わって、俳句の余韻が作れません。
◆「鶯や/難聴の母/電話待つ」という軽い三段切れを感じる作りになってしまっておりますが、助詞を補うことなどができず、修正ができません。

説明したいことを全部詰め込んでしまうと、こういうことが発生しやすくなります。
俳句は「詩」ですので、説明を好みません。

俳句としては、「詩」を出すために、言いたいことを絞って受け手に委ねるのがセオリーだと思いますが、語順や季語の変更で調整することも考えられます(リズムを整える技術は必要です)


◆「電話待つ」は、誰の電話でもいいから電話が鳴るのを待っている?
 それとも「特定の誰かからの電話を待っている」のでしょうか・・・?
 いずれにせよ「待つ」という説明的な言い回しは気になるところです。

・難聴の母が電話をとる彼岸
・鶯や母が電話をとるときに

点数: 0

「春がくる匂いに釣れられ君が来る」の批評

添削した俳句: 春がくる匂いに釣れられ君が来る

こんばんは。

匂いに釣られ?
匂いに連れられ?

どちらかの誤字だと思うのですが、他の部分に推測できるほどの情報もなく・・・

点数: 0

「春雨やサとバスタブに降り注ぐ」の批評

添削した俳句: 春雨やサとバスタブに降り注ぐ

こんばんは。はじめまして。

先のコメントで慈雨様が丁寧に解説されていますが、
このバスタブはどこにあって、降り注いだのは何か?というのはやはり気になります。
もし仮に「春雨がバスタブに降り注いだように感じた」という比喩だとしたら、比喩と伝わるようにした方がよいですが、どうなのでしょうか?

コメントの意味と、句から受けるイメージがかなり異なるので、どちらに合わせるべきかと悩みました。
慈雨様がコメントに寄せていますので、私は句から受けるイメージに寄せてみます。

・湯船にゐて春雨に濡れをるやうな

点数: 0

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