「稲妻や音瞬時にて闇となり」の批評
おはようございます。
不尽様は私のコメント見てない気もしますが(ブロックかしら?)、とりあえず通常運転で参ります。
初読は「雷」の説明の句だと思いました。停電だったのですね。
◆句の全体では「詰め込み過ぎている」という印象です。
◆季語の使い分けですが、秋の季語「稲妻」は光に注目する季語です。音に注目するのは夏の季語「雷」、秋の季語なら「秋の雷」で、それぞれ別の季語です。
この句は「稲妻」よりも「落雷」という意味で使われています。コメントにも「雷が落ち」とありますし、「雷」「秋の雷」の方が句意に近いですね。
◆初読は稲妻が光った後すぐ消えた、という説明の句だと思いました。稲妻が消えたあとに、暗闇がより強調された、という句かと。
停電は「停電」あるいは「灯が消えた」などと書かないと伝わりにくいかと思います。
◆「音瞬時にて」は「光った後すぐに音が来た。距離が近い(と判断した)」という意味だったのですね。ここは理屈っぽさで損をしている気がします。
全体では冒頭に書いた通り、句に入れたい要素「説明」が多すぎて詰め込み過ぎている感じを受けます。
「稲妻(落雷)が見えた」「音がすぐに来た(から近くに落ちたようだ)」「闇となり(停電した)」という原因と結果を全て説明しようとして、俳句の十七音という器を溢れ出しているように感じます。
また、理屈が強かったり、理由⇒結果という流れで説明しようとすると、俳句の詩が弱くなりがちです。句の中にいくつか感慨があるようなので、をそれぞれ整理したいものです。
少なくとも「雷が近くに落ちてびっくりした」と「停電でびっくりした」は、それぞれ別の感慨な気がします。
・停電の訪れたるや秋の雷
・光あり音すぐ来たる秋の雷
これでも理屈が強いですね・・